空襲警報
2025年1月8日。けたたましいサイレンの音で目が覚めた。
空襲警報だった。今回の旅で一番「戦争」を実感した瞬間。逃げようがないのでホテルの部屋でじっとしていた。

空襲警報のマップを見ると、最初はキーウ市の部分だけ白になっていたが、すぐ赤くなり、まさに空襲警報が発令された瞬間だったとわかった。
空襲警報は30分ほどで解除された。キーウ市の端のほうにドローンが一機のみ飛来しただけだったらしい。深刻ではない空襲警報(?)でよかった。
チェルニヒウへ

早朝のキーウの街を歩いて地下鉄の駅へ。地下鉄に乗りキーウ駅へ向かう。

エレクトリーチカ(近郊電車)なのでプリミスキー・バクザール(近郊ターミナル)から出発すると思っていたが、駅員に聞いたところ、メインターミナルに変更になったようだ。

ベラルーシ国境に近い、キーウ州の飛び地でチェルノブイリからの避難者が住んでいる街・スラブチッチ行きに乗車。スラブチッチまで行ってみたかったが、流石に国境が近くシュピオン扱いされて逮捕されかねないので今回はチェルニヒウまでにしておく。


乗車したエレクトリーチカは、ソ連時代の製造だと思われるが、きれいに塗装され、車内も現代風に改修されていた。

ポーリュシカ・ポーレが合いそうな広大な畑の中を走ったり…


時折、農村に差しかかったり…

小駅に止まったりしながら、ウクライナ北部の田園地帯をベラルーシ・ロシア国境方面へひた走る。

途中でどうみてもソ連時代製と思われるレトロなディーゼル車輌とすれ違った。コイツに乗りたかった…

チェルニヒウ駅に到着。

「BELARUSKALI」と書かれた貨車(おそらく戦前にベラルーシからやってきて戻れなくなり留置されている)を撮影したところ、軍人がやってきて写真を削除するように言われた。そんなに威圧的な感じではなく、こういう情勢だからと英語で丁寧に説明してくれたが、さすがにベラルーシの車輌を撮影したのはまずかったようだ。なお写真は、一旦削除したがあとでカメラロールから復活させた。

チェルニヒウ駅の立派な駅舎。駅舎内でも別の軍人に話しかけられ、探知犬も使って荷物検査をされた。さすがに国境が近いだけあって厳重である。

えーてる氏が拘束されたカリンコヴィチもすぐ近くの場所まできた。

バスに乗って街を散策。だが、ベラルーシ・ロシア国境が近いだけあって怪しいアジア人に対する刺すような視線がキツく、写真はほとんど撮れなかった。いたって普通の旧ソ連の地方都市という感じだった。

解体されている最中のビル。ミサイル攻撃を受けたのか、それとも単に老朽化によるものか?
帰りは列車の時間が合わなかったため、マルシュルートカでキーウに戻った。途中何回か検問があり、軍人が乗り込んできて車内のチェックがあった。パスポートチェックはなかったと記憶している。
キーウ駅から夜のキーウの街を散策しつつホテルに戻った。

ショッピングモール「ウクライナ」。

国立サーカス場。

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