夜行列車でルーマニア・ブカレストからモルドバ・キシナウに到着。
キシナウからマルシュルートカに乗る

キシナウ駅前には地べたに商品が並べられフリーマーケットと化しており、ヨーロッパでは珍しくなってきた発展途上国の香りがプンプンである。

ソ連時代からあると思われるホテル「COSMOS」。

ATMで少しだけモルドバレイを下ろし、トロリーバスでセントラルマーケットに向かう。

支払うとこのようなチケットをくれる。前情報では2レイとなっていたが6レイ(約54円)に値上がりしたようだ。

下車した場所の近くにはめっちゃソ連ソ連したビル群が!キシナウ、私が今まで行ったことのある街の中でもっともソ連感が強い!濃厚なソ連成分の大量摂取でものすごくハイになってきた。

セントラルマーケット。服、食品、雑貨など何でも売っている。

(写真は後日撮影)
マーケットにある両替所でモルドバレイをゲット。古風なデザインの紙幣で大変良い。両替所のおばさんに「Moldova Lei Please. 」と言うと「ダー」と返事してきたのでロシア系なのかと思ったが、調べるとモルドバで主に使われているルーマニア語でも「ダー」と言うようだ。

バスターミナルに行き、自販機でSIMカードを購入。お釣りが出ないことを確かめずに高額紙幣を突っ込んでしまい、3枚買うハメになった。2枚はフォロワーさんに帰国後あげた。

日本でよく「親露派地域」と紹介される「沿ドニエストル共和国」で一泊して戻ってくるので、余計な荷物を持ち歩く手間を減らすべくバスターミナル地下の荷物預かり所にメインザックを預ける。24時間50レイ(約457円)。

「首都」ティラスポリ行きのマルシュルートカはすぐに見つかった。料金を窓口で支払い、レシートを運転手に見せて乗るスタイルだった。57レイ(約521円)。
いよいよ未承認国家「沿ドニエストル共和国」に入国

マルシュルートカに乗ると、少しだけ都会を走るが…

あとは延々と小高い丘が連なる田園地帯をひた走る。本当に古色蒼然とした化石のような国で、モルドバが大好きになってしまい再訪を誓ったのであった。
モルドバ側の検問所があったが、モルドバは「国境」を認めていないため審査などまったくなく通過。

約1時間で「沿ドニエストル共和国」の「国境検問所」に到着。なおこの写真は本当は撮影禁止で、逮捕者も出ているとフォロワーさんに教えてもらった。今後行かれる方は十分に注意されたい。
沿ドニの「入国審査」はとてもスムーズで、日帰りか泊まりかを聞かれ「1night.」と答えるとサービスなのか2泊3日分の滞在許可をくれた。

滞在許可証はレシートのような紙である。なくすと出国の時に揉める事が予想されるので注意。


入国後一番最初の停留所で降りたのだが、そこからベンデルの中心部まで4キロほど離れており、しかも両替所がなく独自通貨・沿ドニエストルルーブルを用意できなかったためトロリーバスに乗れず歩くハメになった。しかし未承認国家を堂々と徒歩で徘徊するというなかなかない機会を得て楽しかった。道中にはロシア軍の駐屯地があり、ロシア兵を乗せているとおぼしき軍用トラックとすれ違った。

沿ドニの鉄道。キシナウから1日1往復列車が来ているが、旅行者には利用しづらい時間帯のようだ。

1時間ほど歩いて最初の町・ベンデルに到着。ここでも結構両替所を探し回ったがなんとか見つける事ができた。開いているところが少なかったが、最終的にビルの奥の小部屋でひっそりとやっているところでユーロから替えてもらった。

両替所のレート。

(写真は後日に撮影)
そしてようやく未承認国家の通貨「沿ドニエストルルーブル」をゲット!このお金は外国では一切通貨としてみなされておらず、沿ドニを出た瞬間にただの紙切れと化すのである。


「ベンデル要塞」へ。オスマン帝国によって築かれた砦だが、露土戦争後ロシアによって破壊され、今立っているのは復元された建物である。しかし要塞を見るというよりも、ルーマニア語とロシア語でしか説明が書かれていないSIMカードを必死にアクティベートし、翌日のウクライナ鉄道のチケットを購入するために結構な時間を使った。ベンデルの中心部ではほとんどモルドバの電波が入らない(沿ドニには独自の通信会社がある)が、ベンデル要塞ではモルドバの電波がしっかり入ったためである。


ПМР(沿ドニの略称)と書かれた戦車が歩道に展示されていた。トランスニストリア戦争(沿ドニが事実上独立するきっかけとなった戦争)の勝利を記念するモニュメントだろうか。
「首都」ティラスポリへ
ベンデルから沿ドニの「首都」ティラスポリへのトロリーバスは本数が少なくなかなか来なかったが、マルシュルートカが先に来たので乗車。超満員で大変キツかった。20分ほどでティラスポリの中心部に到着。


やはりソ連時代の地方都市をそのまま保存したような化石のような町だった。

沿ドニの政権与党の本部には、姉妹党である「統一ロシア」の旗が掲げられ、ロシアの傀儡国家感が出ていた。

予約した「Old Tilaspol Hostel」の住所へオフライン状態のマップを見ながらなんとかたどり着くと、そこはただの団地であった。本当にここでいいのか悩んでぐるぐる歩き回っていると、住人の方がそこでいいよとジェスチャーで教えてくれた。非常に助かる。

階段を上がっていく。内部の雰囲気は日本の団地によく似ている。
扉を叩くと、おじさんが顔を出した。宿泊しにきたと英語で言うと、部屋に案内してくれた上でキッチンでお茶とお菓子を出してくれた。

結構会話が弾んだのだが、「俺はモスクワから来た」「八カ国語話せる」「沿ドニはロシアのテリトリーだ」などとこのおじさん、やたら言っていることが香ばしい。
そのうち散歩してこいよと言われ、自分としても暗くなる前にティラスポリの街を見ておきたかったので外に出たのだが、帰ってくると驚愕の事実が待っていた。
別の女性が隣室からあらわれ、「あなたが宿泊者の人?」と言ってくるではないか。
実は例のおじさん、ただの長期滞在客で、宿主の許可なく俺を勝手に「チェックイン」させていたのだった(笑)
そういえば宿泊費を支払おうとしても頑なに受け取ろうとしないしおかしいと思ったんだよな。まあ騙されて金を取られるよりよっぽどマシだと思われる。
なおこの女性に支払った際に最初モルドバレイで請求されたが、そういう支払いになるとは思わず沿ドニルーブルを用意していたためそちらで支払った。
夕食と夜のティラスポリ

沿ドニでは、ウクライナ経由でのロシアからの石油パイプラインが停止し燃料が枯渇する恐れが出たため非常事態宣言が出され、計画停電を実施すると発表がされていたが私が起きている間は街灯や店舗の明かりが煌々と灯り、ホステルも停電することはなかった。寝ている間に停電していたのかもしれない。


夜のティラスポリをレストランまで歩いていく。治安は良く(というか歩いている人も車も非常に少ない)、怖いという感じは特になかった。


「CHOBA B CCCP」(ソ連に戻る)という素晴らしい店名のお店。ウクライナ料理のメニューが多く、店員さんもウクライナ系っぽい雰囲気だった。接客が非常に丁寧で、メニューの意味がわからずスマホの電波も届かないのでGoogleレンズも使えなくて悩んでいると、Wi-fiのパスワードを教えてくれ、その入力でまたつまずくと一字一字読み上げて確認してくれた。怪レい東洋人にそこまでしてくれて本当に感謝しかない。

ボルシチ。今回の旅で食べた中で一番本格的で、味わい深く香り高かった。

サーロ。結構いい肉を使っているらしく旨味があって美味しかったが、ボルシチで思った以上にお腹が満たされており全部食べられなかった。ここで私のコミュ障が発動し残して帰ろうとしたが、店員さんが気を回してテイクアウト用に包んでくれた。

店の前に停車していたUAZ(ロシア製の車)。

ホステルに帰る途中に見た、ライトアップされたティラスポリ市庁舎。これは宿泊しないと見れないので、日帰り観光がメインの沿ドニではかなり貴重な光景ではないかと思う。
部屋に戻った後、停電する前に早めに寝ようと思って寝た。


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