ジャカルタ〜バンダルランプン
KAIコミューター(ジャカルタ近郊)

朝6時ごろ、ホステルからほど近いKAIコミューターのターミナル駅、ジャカルタ・コタ駅へ。

堂々たるドーム型の駅舎は、旅立ちにふさわしい。

元JR東日本205系のボゴール行きに乗車。
元205系の走行音。日本時代と変わらない音で、日本にいるかのような錯覚を覚える。

マンガライ駅で下車。駅の向こうには、真新しい高層ビル群が立ち並んでいる。

カンプンバンダン行きに乗り換え。こちらは元東京メトロ6000系だった。

タナアバンでランカスビトゥン行きに乗り換え。

ランカスビトゥン線は近郊電車にしては距離が長く72.8kmあり、2時間弱かかる。後半は密林の中を爆走する。

ランカスビトゥンに到着。ここまでの運賃は9千ルピア(約90円)と非常に安かった。
メラク線の客車列車
ランカスビトゥンから先、スマトラ行きの船が出ているメラクまでの区間はインターネットでの切符販売がコロナ禍を理由に停止され、GoogleMapにも「臨時休業」と出ており運休疑惑があった。がとりあえず現地で切符を買えるかどうか確認しに行ってみた。

改札を出て左手の、バイクが並んだ路地を歩いていく。

奥のメラク線駅舎に窓口がある。「メラクに行きたい」と伝えるとあっけなく切符を売ってくれた。窓口販売のみに限定されているがしっかりと走っているようだ。スマトラまで繋がって一安心である。

駅前の道路沿い。砂ぼこりにまみれた発展途上な街。iPhoneの充電ケーブルが1本断線してしまっていたので、右の「oppo」という看板の店で売っているか聞いたところ購入できた。外国人が来るのは相当珍しいらしく好奇の目で見られた。


メラク線は非電化。ディーゼル機関車に牽引される客車列車である。エコノミと呼ばれる車内はとても狭く(写真は南スマトラ線を参照)、向かい合って座ると膝がぶつかるぐらいだった。

下半分だけ見えていた火山。隣に座っていた青年が「グヌン・カラン」だと教えてくれた。

終点が近づくと、海が見えてきた。

終点・メラクに到着。皆スマトラ島行きのフェリーに乗り換えるのかと思っていたがそうではないようだ。列車からフェリーが見えていたが、駅から歩いていくルートがわからず困惑していると、バイタクおじさんが声をかけてきたので乗せてもらうことにした。駅からは意外と遠くて道もわかりにくそうだった。なお、フェリーとバスのターミナルは接続していて、バスで来ると乗り換えが便利なようだった。
スマトラ島行きのフェリー

チケット売り場では、船を目の前にして困惑。チケットはオンラインでしか売っていないらしいが、販売サイトにうまく登録できない。仕方がないので窓口のお兄さんのパソコンで代わりにやってもらって現金で支払う。近郊電車といいキャッシュレス化を急ぎすぎてかえって不便になってないか?と思った。

船内の様子。以前は青函連絡船で使われていた古い船だったらしいが、綺麗な船に代わっていた。

テレビには中国の抗日映画が映し出されていた。なお、誰も見ていなかった(笑

1時間ほどでスマトラ側のバカウニ港に到着。
バンダルランプンへ

フェリー乗り場の前に止まっていたバンダルランプン行きバスに乗車。下川裕治氏の本には「バスは市街地から遠いラジャバサターミナルに行くので、市街地に直接行くトラフェル(乗合バン)に乗った方が良い」と書かれていたが、そちらは見当たらなかった。6万ルピア(約600円)で2時間ほどかかった。

バスの車窓からは、人口密度の高いジャワ島と違ってほとんど家が建っていない景色を見ることができた。

バスターミナルに到着した際、声をかけてきたおじさんにトラフェルがないか聞いた。が、結局タクシーに乗ることになり市街地へ移動。東南アジアの中小規模の都市といった感じのところについた。
はまなす史上最悪のホテル
翌朝南スマトラ線の列車に乗るタンジュンカラン駅から近いのが売りの「KOOLKOST」というホテルに宿泊。ここがとんでもないホテルだった。

色々と問題点があったが一番嫌だったのは、シャワーの水が出ずバケツに貯めてある水を浴びないといけないことだった。しかもこの薄汚いトイレの床で。山奥の少数民族の家でホームステイとかならまだわかるが、こちとら1400円も払ってんだぜ。

予約サイトには一見合格水準の室内画像しかのっておらず、完全に騙された。
この夜はブレーカーがずっとピッピッとなっていて非常にうるさかったが、不思議と寝ることはできた。
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